2016年11月18日

フラワーズ・その3

誰かが引退したりグループが解散したり
そういう、いわば弔辞みたいなときだけ何かを書く
というのがイヤでした。

もちろん亡くなった方に対しても。

いま現場に行けていないのに
昔こうでしたみたいな話をするのは
かっこ悪いというか
今でも影響持ちたがってる感は
非常に痛々しいと思っていたし

何より、本当に素晴らしい選手でしたみたいなことを
言うんだったら
現役のうちに言うべきだろと。
活動してるときに言うべきじゃないのかと。


 彼の遺骸をかざる花束は
 生前、彼が奮闘に疲れたる日の食卓に
 ただ一枝ずつでもほしかった

 彼の葬場にきく同情讃嘆の千言万語は
 生前、彼が世の無常と戦う苦悶の日に
 ただひと言ずつでもほしかった


という、後藤静香氏の言葉があって

もちろんそのことばの本意は
だからこそ今、伝えろというところに
あったのでしょうが

ほんとうにそのとおりだよなぁ
と思った私は
なんだか打ちのめされて
おろかにもあまり語らなくなっていました。

安易に書くべきじゃないのかなと。

その結果

自分自身も不自由だったし
失望させてしまった人もいるのだろうなと
感じています。

ただもうそういうのはやめよう
と、思います。

もちろん書けないこともあるけれど
好きなものを好きだとか
いいなと思ったこととか
すばらしいなと思ったことを
もっとたくさん。

棺に飾る花じゃなくて
食卓に花を贈るように書くことができればと
今さら。

年取ったけどそういうことは
きっとやりやすくなったかなぁと。

なにかの感想とか違和感とか
そういうことをあらためて
もっと書こうと思いました。

生きているうちに。
書けるうちに。


次からはもっとバカバカしく。
posted by ささきぃ at 21:25| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

フラワーズ・その2

書くことを自分の中で
なんとなく定義した後、ちょいちょいと
ツイッターなどで書き出してみたのですが

どうもね
キレが悪いというか
やっぱ離れていた分下手になっている。

なにより年取ったな
と。

もう40を過ぎまして
子どもの体力についていけない昼間と
その合間に見るツイッターとで
自分のおばちゃん度について考えてみたり
していたところ

雨宮まみさんの訃報を知りました。


私は直接雨宮さんを知らないし、
一方的にイベントには行ったことがありますが
お会いしたことはありません。

プロレスをご覧になっていたことについても
私は、取材の現場から離れた後だったみたいで、
ほぼ入れ違いのような形でした。
ただ、一緒にお仕事をされている方などは知っているので
会いたいと思えば会えたかもしれない存在でした。

(井田真木子さんの本のイベントは
 本当に行きたかった。行くべきだった。)

こっちが出産したり身も心も太くなってきたせいか
その繊細さにリンクできない部分もありましたが
文章はできる範囲で追いかけていました。

プロレスについて書かれている文章は
憧れの人をみる喜びとわくわくがこもっていて
こちらまでとても嬉しくなってしまった。

でも亡くなられてしまって。

悲しいと同時に
お悔やみの気持ちが自分の中でまとめられなくて
うっかりすると泣きそうになって。

きのうは一回子どもと一緒に寝たあと
夜中に目が覚めて
ツイッターや検索で
近い思いの人を探していました。

でも出てこないので眠りそこねて
それならと自分の中を掘ってみたところ
出てきた言葉は

不謹慎なようですが

なんだよそれ
そりゃないよ
そりゃないよ雨宮さん。

でした。

繊細で人の痛みに敏感な生き方をしていた雨宮さんが
40歳になったばかりで逝ってしまったことが
なんだかとてもやりきれない。

雨宮さんが傷ついたり考え過ぎたりしながらも
雨宮さんらしく40をすぎて50をすぎていく
そんな様が見てみたかった。
見られると思っていた。

雨宮さんが逝ってしまうのはナシだよと
神様に言うべきなら神様に言いたい。

それになんでこの日なんだよと。
里村選手の誕生日じゃないか。
いくらなんでも。
こっちがつらいよ。

生きているのは当たり前じゃないんだと
そんなことは
こんな形で知らされたかったわけではない。

ただただ残念で。

残念で残念でしょうがない。


残念がって、その後なんだか無性に腹が立って

ババアになるのも別に悪いことばかりじゃないよ
どうせ何か言う奴は若くてもババアでも何か言うんだよ。

そんな捨て台詞を。

図太く慌ただしく40歳を過ぎてしまった側から。

泣きながら。
posted by ささきぃ at 19:56| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

フラワーズ・その1

ご無沙汰しております。
子どもは4歳になりました。
今年4月から幼稚園児です。
わたしは元気です。

元気なのですが、
働きながら幼稚園児のママさんをするというのは
思っていたよりも大変でした。

世に言うワーキングママというほど稼いでないので
社会貢献もしていないように思えるし、かといって
子どもにかける時間が多いわけでもないし という感じで
あまり自己肯定感の高くない日々でございました。

もっと落ち込むこともよくあった というか
ある んですけど、
その理由を自分なりに考えてみたところ、

苦手なことをやっている時間が
得意なことをやっている時間よりも長い

という、基本的なことに気づきました。

他のお母さんとの付き合いとか
まぁ、得意じゃございませんし
育児も家事も、得意だったらもっと早く結婚しています。
必要なのでやっていますけど車の運転も得意ではありません。
わたしが得意なのは速報を書くことでした。(過去形)

苦手なことをやる時間にも行為にも
意味があると、もちろんわかっては
いますけども、そういう日々の中で
自己肯定感を高く保つのは、意識しなくては難しいな と
思うようになってから
少し楽になりました。

そういう中で
書くことに対して、どう向きあって良いのかなと
ずっと考えていました。

書いた方がいいのだろうと思いつつ
なにを、どう書けばいいのだろう
どういうスタンスで書けばいいのだろう
みたいなことを、ぐるぐるしているうちに
自由時間終了という感じです。

ただ
得意なことは少しでも続けたいし
そうしていないと私はあまり友達もいない。

ブログに書かなかったら
誰が私のバラエティ番組の細かい感想を聞いてくれるかと。

単にそういう部分だけであっても
書きたいことがあるなら書いていてもいいじゃないか
誰も読まないかもしれないけれど
自分のためにであっても書いたほうがいい
と思うことで、またようやく
一段階抜けた感じでした。


つづきます。
posted by ささきぃ at 09:18| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月26日

漫画「母親やめてもいいですか」感想その2 知ることで救われたかもしれない



母親やめてもいいですか」の感想つづきです。

・主人公の母親の境遇はけっこう恵まれている

批判になるかもしれませんけど、読んだあとしばらく考えて
感じたのは

「この人、結構支えてくれる人いたのに、
 こうなっちゃったんだよなぁ」

ということでした。

実母が週末預かってくれるとか、義母も
「いつでもこっちにおいで」と言ってくれるとか、
保育所に入れたということもそうだし
ダンナさんが最終的に子どもを見捨てない人だった、
という事も含めて。

境遇で大変さなんて簡単に比べられないですけど
もっと大変な人、いくらでもいますよね。
もう少し、なんとかできなかったのか。

でも、できなかった。
自分を追い込んでしまった。

頼れる人がいる環境であっても、踏み外す人はいるし、
家庭を壊してしまう人はいる。

そう考えたら私も十分こうなってしまいかねない?
というか私、この人と考え方そっくり?

ここでもう一度、「あ、やばい」です。


・主人公への批判

アマゾンのレビューを見ると、
本に対して数多くの批判が集まっています。
http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4780305683/ref=dp_top_cm_cr_acr_txt?ie=UTF8&showViewpoints=1

批判はそのまま「踏み外した母親」に対して
世間が投げかける声だと、私は感じました。

正確に言えば「踏み外したけど、申し訳なさそうに
していない母親」となるのかもしれません。

批判する気持ちはわかります。
私も主人公に対する抵抗みたいな気持ちがあります。
それはここまで書いてきたような
自分に似た人、似た境遇の人が
踏み外してしまった物語を読んで、
自分のダメな部分を客観的に
見せられたような気分になったからです。

ただ、どうにかならんかったのかな
という残念さがすごくあります。
どうにかなったはずの案件なんですよ。
案件というのも失礼ですけど。

彼女の逃避は許されるものじゃないんですが
せめて他の方法だったらまだなんとかなったんじゃ
ないかなとか思います。

例えば、ストレスでお菓子食べるとかだったら
他の母親だってよくやってるドラッグですよね。
(って私だよ! お菓子食べまくってるよ!)
太るし体にも悪いからよくないことだけど、
その程度ならって思われてるような逃避行為ですよね。
浪費とか、何かにはまるとか、ちょっと家出するとか、
彼女の選んだ逃避が、そうした、笑い飛ばせるようなものじゃ
なかったというだけではないのか、と、
そう感じるので、なんとかならんかったのか、と。


・「君が笑っていてくれればそれでよかった」

追い込まれて、家族から心が離れていく主人公に
旦那さんが言う台詞です。

追い込まれると不機嫌になるらしい私にとって
これまた、痛い言葉です。

「多少家事ができていなくてもいい。
 奥さんがご機嫌でニコニコしていてくれるのが
 赤ちゃんにも、旦那さんにも一番いいことなのよ」

よく、育児雑誌なんかで見る言葉です。
でも、それがどんなに難しいことか。

「多少の問題があっても笑顔でいる」というのは
問題に対して何らかの気持ちの処理をするなり
見て見ぬ振りをするなりした後、
笑顔でいられるくらいのメンタリティでいられる
強さがある、ということで、
そんなに大変なことを簡単なことのように要求しないでくれ、
と、私はそうしたアドバイスを見るたび思っていました。

それを他人の物語として
こうして漫画で読んでみると、笑顔でいてくれ、と
言う旦那さんの優しいようでいて突き放している部分も
確かにあなた今のままじゃまずいよという、主人公の様も
見ていて痛くてつらい。

(後半の、家庭を捨ててるかのような主人公の生活ぶりは
 不妊から赤ちゃん時代、どこかで『耐えていた』主人公の
 旦那さんに対する反動なんじゃないかなとも思います)

本の中での主人公に対していえるのは
もう十分にお母さんは考えたのだから、
問題を解決しようとしなくてもいいから、
お母さんもたからちゃんも
今日ひとつでもいいことがあったと感じられるように
過ごしてみたらいいんじゃないのかな、
ということです。

たぶん、私が今後追い込まれた私に対して
できるアドバイスも、同じなのでしょう。

あとは、本の中にあるように
「愛着が9歳頃になって形成される」という点を
もっと早くお母さんが知っていれば、向き合い方はまったく
違っていたし、もっと上手に人の手を借りることも
できたんじゃないのかなと思います。
それも本当に惜しいと感じる点です。

漫画に登場する、発達障害の子を育てている
「うしおくんのママ」も
のちに離婚になってしまわれたみたいですけど、
0歳から3歳くらいまでの、本当に大変な期間を
真剣に子どもに向きあってきた母親が
責任を問われた後、離れてしまうというのは
つらいし、ひどい話じゃないかなと思いました。
このあたりは3歳児を育てている自分の思い入れかも
しれませんが、やっぱり悲しいことだし
その時期を育ててきた彼女たちの頑張りは
認めてあげてほしいし、私は認めたいです。


・漫画の説得力がすごい

コミックエッセイ、のジャンルに入るのかもしれない
この本ですが、主人公の母親はライターさんなので、
漫画を描いた方はにしかわたくさんという方です。

すごいっす。
ここまで真剣に感想書いておいて何だけど
漫画だけでも十分おつりがくる読み応え。
描き込みの量もすごい。

当事者本人じゃないということが
物語を客観的に突き放したものにしてくれています。

具体的に言うと
悪役がいかにもひどい顔だったり
口をはさんでくるおばさんが露悪的な顔だったり
主人公以外が全員ブサイクだったりする
漫画がありますが、そういう描き手の
余計な感情が入っていない。
全体に対して丁寧というか誠実。

その分、よけいにズシンと入ってきます。

娘のたからちゃんの、ぐっと口を結んでいる表情とか、
終盤に主人公の母親に語りかけている場面とか、
「やばい」となります。
ここでの「やばい」は、「やばい、泣いちゃう」の、
やばい、ですけど。


「追い込まれる」感覚は、
発達障害の子を持ったお母さんだけでなく
現代に生きる人、すべてに共通する感覚ではないでしょうか。

精神的にやばい「橋」を渡りかけたことのある人なら
この本の「追い込まれる」過程に
引き込まれる感覚がわかるはずです。

落ち気味のときに読むと、引き込まれるかもしれないので、
そこは注意してほしいのですが(私はへこみました)
「やばい」と感じる、「危機への備え」の感覚を
取り戻すには、いい本だと思います。

年に3万人が自殺している日本においては
自然災害や交通事故の恐ろしさを心しておくような
感覚で「やばい」という「危ない橋」への危機感を
心しておいたほうがいいのではないかと思うので
そんな気持ちからの、おすすめです。

ただ、そうした本をおすすめするときに
笑顔ですすめることはないので
なんか微妙な顔になってしまうんですけど、
おすすめです。

もちろん発達障害の子と、育児をする人たちの
理解されづらい状況を少しでも理解するためにも
参考になる本だと思います。
「発達障害の子は、愛着が9歳頃になって形成される」
という点は、できるだけ多くの人、できれば
いま苦労しながら子育てしている人に
早くとどいてほしい事実です。

Amazonの、この本のレビューの中に

「この著者の心の動きを批判することは私にはできません。
 あの時心理士のあの言葉がなければ、あの時息子が笑ってくれなければ、
 崖に落ちていたのはきっと私です。」

という一文があります。(一番上のレビューです)
その文にこもったしんどさを思うと泣きそうになります。
苦しい。
いまこの瞬間も、そうしたしんどい一瞬を乗り越えようとしている
お母さんがいるのかなと思います。

たからちゃんとお父さん、お母さん、
そして彼女たちを取り巻く人たちに
多くの笑顔がおとずれることを祈ります。
posted by ささきぃ at 00:00| 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月25日

漫画「母親やめてもいいですか」感想〜追い込まれるという感覚



「母親やめてもいいですか」
なかなかインパクトのあるタイトルです。
レジに持って行くのに勇気がいりました。

母親やめてもいいですか」は、
発達障害の娘さんを持ったお母さんの
葛藤を描いた漫画です。

……きついです。きつかったです。

いい気分になる漫画ではないです。でも、
いろいろなことを考えさせられました。

自分への気づきが多い読書体験だったので
感じたことを順に書いていきます。


・ざっくりと内容

主人公の女性と、お子さん=たからちゃんの
発達障害について描いた漫画です。

主人公の女性=山口さんは、
たからちゃんが発達障害かもしれないと感じた後
精力的に発達障害について調べ、行動を開始します。

診断が出て、一度は落胆したもののすぐに気持ちを切り替えて
信頼できるお医者さんを探し、作業療法が受けられる施設へ
たからちゃんを入所させて、少しずつ前へ進んでいく。

……という前向きな前半部分から一転、
たからちゃんの将来への不安と、
それだけ一生懸命にたからちゃんのために動いているのに
反応が返ってこない、一方的なやりとりに疲れた山口さんが
落ち込み、ネットにハマりこみ、さらに落ち込む。

たからちゃんは保育所に入ることができたのに、山口さんは
落ち込みから逃れられず、気晴らしを求めてチャットし、
ネットの仲間との疑似恋愛をはじめる。
同じ療育仲間だった奥さんの誘いで新興宗教と
心のよりどころを探していくうちに、家庭はバラバラになってしまう。

書いててつらくなってきました。
ただ、最後はきついだけの終わり方ではないです。


・主人公の母親が自分と似ている

母親である山口さんは75年生まれの
フリーライターさん。わたしと同じです。
生まれた年と職業と性別が同じという
だけじゃなくて、ライターという職業に
つくような人だからなのか、私は、考え方というか
「追い込まれ方」が、自分とそっくりに感じました。
だから余計に怖かったです。
「やばい」と思いました。

どういう点を「やばい」と思ったのかについて、
私のようなタイプの人と、私のようなタイプを
身近に持った人への参考に書きます。

前半、たからちゃんの行動やかんしゃくに疑問を持った
山口さんは、疑問点をネットで調べ、病院に予約を取って
精力的に動き、後に通うことになった施設でも
「山口さんは詳しいから」と言われるようになるくらい
発達障害について調べています。

すごいわかる。私も息子に何かあったら
現時点で自分が持てる情報を全部得ようとするはず。

その後「療育は特効薬ではない」と気づき
一生つきあっていくという現実の重さを感じながらも
たからちゃんとコミュニケーションを取ろうとするけれど、
一方的で心が通い合わない日々に疲れていく山口さん。

「子どもがかわいいと感じられない」
「でも、子どもが将来いじめに合ったり、つらいめに合うのは
 耐えられない(=そのためにコミュニケーション能力をつけさせたい)」
と、悩みをこじらせていく。

これは主人公の山口さんがそうだと断定しているわけではなく
私が勝手に感じることなのですが、
山口さんはきっとテキパキと現実に立ち向かっていくタイプの
人だと思います。

でも、そのテキパキは
「不安や課題を持ったまま生きていくのに耐えられない」
という、キャパシティの小ささ、
心の弱さからくるテキパキだったんじゃないでしょうか。
なぜそう感じるかといえば、私がそうだからです。

ゆったり構えた人って、私の印象だと、
多少の問題があってもくよくよしない人なんですよ。
「うちの子、○○なところがあるけど元気だからまぁいっか」
そう思えるのが、いいお母さんぽいですよね。なんか。

私、基本的に締め切りを守る人ですけども、
それは仕事を抱えた状態でいるのに心が耐えられないからであって、
決して仕事ができる人間だからじゃないんですよ。

で、そういう人間というのは、
一回失敗すると、ダメなんですよ。
ものすごい落ち込んじゃうんです。

テトリスで失敗して、画面下に
4段くらい積んだ状態を想像していただきたい。

多少のトラブルを抱えた心の状態というのは、
そんな感じだと思います。私はそうです。
心のキャパが狭いと、ここから一気なんですよ。
一瞬で上まで積み上がる。
ゆったり構えていられる人、は
その状態でも、ゆったりしていられる人なんです。

主人公の山口さんは、学生時代の最大の関心事が
「人間関係」だったと書いています。
「友達とうまくやることは、私の『生きるための戦術』だったのだ」
と本の中にありました。
不妊に悩んだときもネットでサプリの情報を調べて
独自の配合を考えて成功したと本の中で触れています。

頑張り屋さんで、努力で現実を乗り越えてきた人なのだな
と思います。
でも、本の中で描かれている落ち込み方をみると、
もしかしたら私と似たタイプで、
問題を持ったままでいるのが耐えられない、
問題と共存していくという考え方がしづらい人なのでは
ないかなと感じました。

本の中の、心の負担のテトリスが積み上がっていく過程が
非常に自分の「追い込まれ方」に似ていて、
漫画の中ではそれと同時進行で家庭が壊れ、主人公が
壊れていく状況に対して、積み上がった心で
なにもできずにそれを眺めながら
つかのまの息抜きと言い訳して
逃避するような様が描かれているので……

うわぁぁあぁぁっと思いました。


長いので、いったん切りますね。
つづきは明日。
posted by ささきぃ at 11:10| 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月11日

漫画だけは読んでいる2015

忙しそうにみせていながらも。

・きのう何食べた?11巻



お好み焼きがおいしそう。
というか、粉があったので4回作って食べました。
4回は多い。(2袋で2回ずつ)
家のフライパンで作ったときには、漫画のように
中央をこんもり形式にせず、普通に、ぺたんこ気味でも
十分おいしかったです。

お友達とのお花見エピソードも。
というか、10巻で出てきた佳代子さんの娘、ミチルさんの
病気のときにはじじばばが迎え、夕食や休日のごはんを作ってもらう、
という環境での子育てが、
泣き崩れたいほどうらやましい。
佳代子さんを雇いたい。



・3月のライオン



10巻と11巻、読みました。
好きな漫画なのですがちょっと父親騒動には違和感。

漫画に対して漫画みたいだというのは
バカな意見ですけど、
いじめの問題と今回の父親騒動と、
いじめの時は突然熱血先生が出てきて解決したり
父親騒動の時は突然桐山君がスーパーマンになったりと
悪役が妙に現実的なのに解決方法だけがいかにも漫画で、
どうも読んでスッキリしない感覚でした。

そういう漫画ならそういう漫画で
納得もしますが、そういう漫画じゃーなかった
と思うし、勝負の世界に対して
さまざまな勝ちたい理由を背負っていても
ひたむきに努力をして盤面に向かっていても
それでも、勝てない・・・というシビアな部分を
すごく丁寧に描いてきた漫画だと思うので、
今回の勝負の流れと結果は
そんなものなの? ・・・と感じてしまいました。

ただまぁ
人間、何事にも無敵という時期も確かにあったりするので
その時期ということなら
それならそれで。
はい。



・まんが親 4
・おかあさんの扉 4





並行して読んでおります。
ここにきてお二人の違いのようなものが見えてきた感じ。

吉田戦車さんへの評価は、青春時代に「伝染るんです。」を
読んでいたか否かで全然違うと思うのですが
私は「いつか読もう」と思って読んでいなかった派なので、
(スピリッツ読み始めた頃にはすでに「パパはニューギニア」に
 なっていた。あの頃はあの頃でスピリッツが神懸かっていた)
知らざる天才という感じです。

で、伊藤理佐さんのことはほぼ全部読んでるくらいに好きです。

なので、ひいきが入ってるとは思うんですけど、

伊藤さんのは「育児漫画」で、
吉田さんのは「育児をやっている俺」の漫画だなぁ、
という印象。
いいとか悪いとかでなく。

1巻からなんとなくその違いは感じていたのですが、
そのあたりがはっきりしてきたなぁ、
と感じました。

女性の冗談は自分を落として成立する
男性の冗談は相手へのツッコミで成立する

という表現をどこかで読んだ記憶があるのですが
そういう感じ。

伊藤さんの客観性がすごいなと私は思います。



・ステキな奥さん ぶはっ



漫画じゃない。漫画じゃない伊藤理佐さんもやはり好き。
「みんな割と止めてくれない」が最高に面白いです。
おかしいなと思ってもなかなか他人は止めてくれない・・・という
話なのですが、たしかに、みんな割と止めてくれないです。
目が覚めてから、なぜ言ってくれなかったと思う。



・ピース オブ ケイク番外編



6年ぶりの完全新作。
ということは、私が最終巻を読んで
「くっそ!なんだこの終わりは!
 逃げやがって!」
と、本を投げつけんばかりに怒ったのは6年前ということ。
月日の経つのは早いですね。

6年前、まぁ私も若かったのでね。
でも、6年前にこれを読んでいたら
いずれ読めるとわかっていたら
怒らなかったろうな。

ちょっと、
原作というか、最終巻は
強引にまとめられたという印象だったんですよ。
すごい好きな漫画だったので、
すごい悲しくて、それで怒った。
ようやく完結した感じです。
よかった。
1〜5巻のカバーデザインもとても好きでした。


去年書いて、そのままになっていた
ある漫画の長い感想がもう1本あります。
すごく長いので、取り急ぎ以上で。
年内になんとか!
posted by ささきぃ at 12:21| 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月02日

産後3年と1ヶ月

ご無沙汰しております。
何か大変なことがあったわけではなく
毎日あわただしく。

確か、今年はなるべくブログを書きます
と宣言したのにもかかわらず
このていたらく。
もう来年は何も宣言しません。(そっちか)

このままだと
年賀状の内容が全て安否確認みたいに
なってしまうであろうな
と思ったので、あわてて
何か書きます。

今年の初めくらいにiPhoneからスマートフォン(Nexus5)
に替えて、
Nexus使っている方はわかると思うんですけど
Nexusは携帯のキャリアメールが本当に使いづらくて、
キャンペーン価格みたいなのでいきなり機種変したので
アドレスの変更のお知らせもちゃんと
いっていないかと思います。
よけいに消息不明感バリバリですね。ごめんなさい。

息子はすくすくと生意気で甘ったれに育っています。

3歳の息子はなんか、こだわり強い子で
そこはいいから早くやれよ
みたいなことを、日々感じながら育てているんですけど、
こだわり強くて、納得しないと先に進まない
というのは、誰でもなく私自身の悪いところ
として、わたくしめが歴代の上司から言われていた点でございます。

正直、それの何が悪いんだと思っていました。
すいません。
こういうことですね。はい。
と、今は思います。
テーブルに並べたおもちゃの順番を気にして
なかなか玄関に行こうとしない息子を追い立てながら
そう思います。

相変わらず車とアンパンマンが好きなようです。

本当にざっくりと。
またそのうちに!
posted by ささきぃ at 15:20| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月09日

6月の謹賀新年

あけましておめでとうございます。
今年もよろしく御願い致します。

何がどうしたという書き出しになってしまいました。
これが今年最初の更新。

今年は頑張ってブログを書きます!
と、年賀状で宣言したりしていたはずなのに。

ごめんなさい。
言い訳をしましょう。

子どもの保育園が変わったり
それにともなって私が情緒不安定になったり
(本当に新しい園に入れるのかしら、
 保育園難民にならないかしら、
 私も子どもも新しい場所になじめるかしらという不安)
確定申告をしていたりする間に4月になり、
さらに新しい園でうっかり役員を引き受けてしまったりして、
現在に至ります。

4月に「今年からブログ更新します、
というつもりでしたが『新年度』になっちゃいましたテヘ」
みたいな形で更新しようと思っていたのに。
(それもどうか)

本当にねぇ、
モタモタしているならとりあえずざっくり私が引き受けて
なんとかこっちで形にします、
というような、O型的感性で仕事社会を生き抜いてきた女性が
もしこのブログを読んでくださっている中にいらしたら
そういうやり方は子どもの役員ワールドには通用しませんよ
ひどい目に遭いますよ、と、警告しておきたい。

ただまぁ、そうした世界のこともぼんやり理解し、
子どももとりあえず元気に通っているし、
仕事もなんとかできているし、
よかったよかった、
・・・・・・でも何か足りない、足りないというか忘れてる気がする、
あっ!
あぁそうだ!
ブログ書いてなかった!


という現在です。

偶然にも6月9日は私がフリーになった
6月1日から8日後です。
偶然でもなんでもない日程でした。すみません。

ツイッターもなんとなく書く気になれず止まっていて
全体的にこれはまずいな、生きている感がないな、
と反省しました。

生きています。
また書きます。
posted by ささきぃ at 20:17| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月19日

産後2年1ヶ月

息子は2歳になりました。
なったのですが、
先月から風邪を引いたりお腹を壊したりして、
なかなかの逆境におりました。

本人もつらかったろうけど親も大変で。
わたしも風邪を引きましたし
夫も風邪引きっぱなしだし。
仕事休まなきゃいけないし息子は泣くし。
人生の中でも3本指に入るくらいの逆境でした。
しんどかったなー。
とはいえ冬はまだ始まったばかり。

書きたいこと、書こうと思っていたことは
あったはずなのですが、
なんだか今となってはでございます。

今日発表があったから書くのですが、
STAP細胞のニュースはいろいろ考えさせられました。
「働く女性」の切り取られ方、という点については
いろいろ感じることもあったのですが、
もうそれどころじゃないですね。

震災の東電の件と合わせて
「頭がいい人」と思っていた層への
信頼のゆらぎは、今後いったい
どんなふうに影響を与えていくのかなと
少し離れた目線から思います。

あいかわらずいろいろ物忘れが激しいので
愛でるだけではなくて
まじめに手帳を使おうと思います。

あわただしいですが、元気にしています。
今朝は「パン」と言えるようになった息子に
6時半に起こされました。
よいお年を。(早い)
posted by ささきぃ at 23:00| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月25日

カップ焼きそばを食べるコウノトリ

「コウノドリ」が早くも5巻出てました。

有名な漫画なので書くのも今更ですけど、
モーニングで連載されている産科医の漫画です。

3巻が出たときにまとめ買いして、
まとめて一気読みして、
こんなことをツイートしました。

「コウノドリ」1〜3巻読む。息子よ、今日はいくら夜泣きしてくれてもいいよ。きみも産まれてからしばらく小児科に入院していた子だけれど、無事に産まれてきてくれてありがとう。(1月7日)

息子は2500gにあと少し足りず生まれてきて、
母体の破水が早かったりしたこともあって、しばらく
小児科に入院していました。

妊娠出産はべつに病気ではありませんが
無事に産まれてくる、無事に育つということは
当たり前のことではない、と
これを読むと、あらためて思います。

そして、無事に産まれるはずだった命が
無事じゃなくなることもありうる
ということも。

4巻の帯に書かれた、伊坂幸太郎さんの
推薦文がよかったです。

「いくらでもあざといパターンに落とし込めるところを、
 ちょうどいいところで止めてくれるんですよ。」

そうそう。そのとおり。

泣くような題材なので、
いくらでも泣かせることができるはずなのに、
非常にうまいところで止めてくれているんですよ。
絶妙に泣かせないというか、
泣きに没頭させない。
現実も同じだなと思います。
まぁ、それでも泣き入るんですけど。

うまいこと止めてくれているので、逆に
「産科医の仕事」「仕事としての医師」
みたいな面も、物語として伝わってくる。
アイスとカップ焼きそばが出てくる場面が好きです。

いかにもドラマになりそうな漫画なのですが、
もう実は決まっているのかもしれませんが、
ドラマだと、この「うまいところで止めてる」感は
非常に伝えづらいのではないかと思います。
漫画だからこそなのかもしれません。



最新刊は小児科医さん、双子ちゃんの話、
あと理由は分からないけど出産が増える満月の話が
印象的でした。

息子は、産まれてすぐ、小児科の集中治療室?に
入っていました。
赤ちゃん用おむつ、新生児用でも大きくてぶかぶかで、
その下のマイクロというサイズでも少し大きくて、
それでも、めちゃくちゃかわいかったです。

今の息子は朝6時に起きて、パンをよこせと騒いでいます。
posted by ささきぃ at 15:15| 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする