テレビでやった劇場版「序」を見て、なつかしい気持ちになり、
「破」が自分の信頼する何人かの方のブログ等で絶賛されているのを
見て、見るべきかなぁと思いつつまだ手も足も出ていません。
私がはじめてエヴァを見たのはテレビシリーズが終わって、なんだか
えらくとんでもない終わり方をしたらしいという噂が
そういうのが好きな人たちの世界を包んでた頃でした。
多分、先に批評から読んでしまうような、そんな、
あんまり真っ当じゃない入り方だったと思う。
エヴァの世界は私にとって難解で、でも非常に
魅力的でした。面白いと言われる訳も分かりましたが、
でも絶賛している人を同時にすごく気持ち悪く思っても
いました。すいません。近親憎悪です。多分。
ただ難解でも読み解きたかったし、理解したかった。
エヴァ解説本の中で特に絶賛されていたのが
野火ノビタさん(※榎本ナリコ名義で漫画家としても活躍中)の
「大人は分かってくれない」
という、同人誌で発行されたテキストでした。
読んで、スゲェと思いました。
テレビシリーズ最終話でエヴァの物語が
破壊されたことに対する「怒り」がエネルギーでありながら、
レインの「引き裂かれた自己」を下敷きにした深い理解が
ある、他の精神科医師のコメントとかなんかよりも、
読者としてのやりきれなさと、こっちが気づかない部分の
指摘が折り込まれた、完璧な批評でした。
凄い人だ、と思っていましたが、その批評のすごさは
当の庵野監督にも届いてしまい、雑誌で対談するだけに
とどまらず、野火さんはなんと映画版エヴァの台本を
公開に先だって読んで、自分なりの意見をする
立場にまでなってしまわれていました。
「すげぇ読者」というのは「発見」されてしまう
というのは、私の人生においてカルチャーショックでした。
怖かったのも覚えています。
野火さん本人も、そうなってしまった以上、
批評をする立場ではなくなってしまったこと、
自分の意見が折り込まれている作品を見る複雑さに
ついて語っておられました。
「ともあれこの一大事で私が感じたことは、あー他者であるって
すばらしい!でした。絶対エヴァに乗れないケンスケであって、
キャーキャー言いながらハンディカム回してるのが幸せなんだよー。
たとえそれが誤解でも。でも彼は14話の綾波に対する供述とか、
観察者としては鋭いところがあったよね。そうゆうのがいいんだよ、本当に」
それでも、映画版エヴァ完結(※当時ね)が終わってからの野火さんの
テキストは本当にすばらしくて。本人もおっしゃるとおり
批評する立場ではない人が行った、こわれた批評ではあるんだけど、
補完計画を「ぼくを探しに」の絵本を用いて語ってあって、
あぁもうその通りでございますと、土下座をしたくなるほど完璧でした。
だからなんというか、私にとってのエヴァは
批評というもうひとつのテキストがあって
完全に補完されたものになってるんですよ。
補完完了済みなんですよ。
本編ともうひとつのサイドストーリーがあって
よりおもしろくなっているように。
・・・それをまたもう一回、というのが。
なんだろう、動かない。
もちろん見れば凄いとまた思うのだろうし、あっさり見に行くかもだけど。
ところで批評の本は
同人誌で発行された本だけど日本評論社から発行もされているな。
ですよ。
どうしよう、これも買っておこうか。
多分私の文章には大きく影響している方だと思うです。
エヴァを含む一連の流れとともに。
あと、庵野監督と富樫義博氏については
個人的にはその後、庵野監督は安野モヨコさんと
そして冨樫氏は武内直子さんと結婚されたのが
印象深いです。作家が作品を生み出す過程は、
やっぱ「ぼくを探しに」的というか、自分の欠けた部分を
探す行為でもあると思うので(陳腐な言い方だけど)、
結婚された後でも作品を生み出していけるんだというのは
なにか勇気にもなり、感慨深くもありな
これまた私にとっては事件でした。
でもどの作家さんもガンガン次の作品作ってるもんね。
留まってないしね。だとしたら私も見る側として次へ
行くべきなのか。そうか。
スポナビブログにはJ-GIRLSのことを書いています。
告知が完全に遅れましたが
これは書き終わって気が抜けていたせいです。
あちらはあちらでこちらはこちらで
ときどきのぞいていただけると助かります。