2011年04月26日

七転びライター

震災後、意識的に文章を書かないでいたときがありました。
ちょっと慎重になろう と。
うかつなこと書いてる人いっぱい見ましたし
自粛ムードもありますし
さまざまな立場の人が読んでいるということを考えると
なにも書く気になれなかったのもほんとうで。

書かないぶんどうしていたかというと
思ったことを全部ためこんで
ノートに書いたりもしていましたが
やっぱ頭が重い感じがするというか
面白いことがあったら伝えたい
という気持ちは、おさまらなかった。

おそるおそる という感じで
ツイッターでぽつぽつと書き始めて、
どうでもいいことを書いていくうちに
元気になっている自分にも気づきました。

あ、やっぱり私は書いたほうがいいんだ と。

たぶんこのブログを読んでいる方には
何をいまさら言ってやがる、おまえライターだろ
と思われたでしょうけれども
ようやく自分でもそう思えたのでした。

先日も書きましたが、いまは
格闘技のライターもするし、プロレスのことも
もちろん書くし、他のライティングも
するし、インタビューもするし、
テープ起こしもやったりするし、
企業向けのHPのライティングとかもします。

あんまり家にこもっていると
精神衛生上よくないということもわかったので
もう一度編集の仕事にも関わることにしました。

編集っていう作業について
ちがう媒体でちがう形で、
ライター佐々木亜希としてじゃなくて、
ただの使われる人として
もう一度、関わり直してみたかった。

フリーになったばかりのころも
やっぱり1日に何時間かは、ウェブの勉強を兼ねて
バイトに行っていたわけですが、
その頃の感じと似ています。

ぜんっぜん今までやっていたことと違うジャンルなので
ライター仕事とは違う脳を使っている感じがあります。

そのころもそうですが、今回も
30をすぎて、仕事(ソフトの使い方なども)を
教えてもらう機会にめぐまれた自分は、
ラッキーだと思います。

昨年が単行本の年だったとしたら
いまはあれこれ考えず
働けるうちは働くぜ 
持ってる武器磨き直すぜ という路線です。

仕事は自分で完全にコントロールできるものでも
ないですが、やるからには状況を見てうまく動かなきゃ、
みたいな気持ちと、いま、日本中が大変なことになっている中で
家族がいて働ける環境があるというだけで十分だ、
なにが何割とかどうでもいいじゃないか、
という気持ちの両方があります。

はっきりした答えなんて分からないけど
そういう状態でもできることはある
というのは、わかっているので、
その力を、しっかり使いたいと思います。
posted by ささきぃ at 03:15| 考えたいテーマ&連載 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月25日

時間は平等

24日は「ROLL FES IV」へ行ってきました。
そのときの様子はスポナビブログに書いています。

辻結花選手、SACHI選手といった
闇愚羅所属の選手が
大阪からいらっしゃっていました。

おふたりとも去年は怪我をされていたので
セミナーで元気にスピーディーな動きを
披露されている様をみると
時間っていうのは不思議なものだなぁ
と感じます。

この日はEdge選手や岡田円選手もいらしてました。
おふたりともこの1年以上
試合から遠ざかっていたので、
同じことを感じてしまう。

プロレスや格闘技を見る醍醐味のひとつは
ひとが変わっていく様を見られるところだと思います。

怪我をしたり治ったり強くなったり
観客を続けていれば、必ずそうした
人間の変化を見届けることができる。

当たり前のことですが
時間は誰にでも平等に同じように流れているわけで、
他の人がそうして過ごして来た時間で
私は何をしてきただろう?
とも、自然と考えさせられる。

何かやらなきゃ誰にも会えない。

そんな大黒摩季の歌詞を思い出したりもします。
posted by ささきぃ at 04:01| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月24日

燃え尽きライター

昨年10月に「殴る女たち」を出させていただいて
さて今後どうしようかと考えたのですよ。

ライターをやる上で本を出すというのは
目標だったので、それが叶うまでは
とにかく頑張ろうと思っていた。

内容はとにかく一切後悔しないようにやりきったし
その後、サイン会をやらせていただいたり
大会で物販のブースに立ったりして
それで全部の力を出し切った感があったのですよ。

少し休みたいなというか
これからどうしよう みたいなことを考えていたら

出し切り過ぎて次に何をやっていいのか
わかんない状態になったんですね。
燃え尽き症候群というのにはじめてなりました。
真っっっっっっっ白でした。

もちろん続編は出したいですが
それは自分の頑張りだけでかなうことでもないので
さぁどうしようと。

本を出すという目標がかなったことで
そこから先はとにかく叶えたいという目標も
消えたので、
そこから、今後の自分の人生というか
生き方みたいなものを考えて
職業としてのライターに、どう付き合っていこうかと
考えたのです。

それで、そういえば自分のかなわなかったことが
ひとつあった と。

すぐに子供を生んだりしなくても
もしかして生まない人生だったとしても
後悔しないようには生きていきたい。

仕事の上での目標はすぐには見えないけれど
格闘技以外の仕事もしてみるというのは
どちらの場合でも後悔する選択じゃない。

だとしたら、自分の世界を広げる努力はしておこう と。

格闘技の本で出し切っちゃった結果、
格闘技ライターの割合が減るというのは、
はたから見ればおかしな話です。

でも私自身、本を出した後の自分が
どうなるかというのが、まったく見えてなかったし
まったく想像もできなかったんです。

ただ書いたことで自由に書けるようになったのは確か。
自由に書けるようになったということで
自分自身がどうしたいのか
考える機会になったというのも確か。

結果、ほかのジャンルのことも書いてみたいと
思うようにもなった。
いっぱいいろんな人に会いたいと思いましたし
自分は他にどういうものが書けるのか、書けないのか、
試してみたくなった。
まだ自分じゃ気づいていないけど
できることがあるのかもしれない。

書くことはずっと自分のそばにあるだろうけど
仕事としての書くこと、は
まだまだ掘り下げていけるはずじゃないのか。

そう思ったのです。
posted by ささきぃ at 01:02| 考えたいテーマ&連載 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月23日

2割ライター

最近の私はプロレスや格闘技以外の仕事が増えてきています。

フリーになってからずっと
基本はなんでもライターで、ただその割合の多くが
プロレスや格闘技のことだった というスタンスでは
あったんですが、最近はすっかりそれが
逆転した感。

2月はパンフレットを作ったり
インタビューをしたりしたので
半々くらいになっていたかもしれないですが
他の月は8割は他の仕事です。

べつに嫌いになったとかそういうわけではないですし
私がそうしているからといって
プロレスや格闘技の業界はやっぱり食えないんだ とか
言って欲しくない。

単純に、いまの私は結婚していて、
近い将来子供を産んで育てる生活になる
ということを考えたとき、
プロレスと格闘技のライターだけをメインにしていたら
成り立たなくなるなぁと思ったから
そうでない仕事を多く受けるようにしよう
違う仕事にもチャレンジするとしたら今だろう
と考えたわけです。

なぜ成り立たなくなるのか といえば
これも私の考えですけど、
プロレスと格闘技のことを書くんだったら
大会なり記者会見なりにマメに顔を出さなくちゃ
状況に即したもの、自信持ってお出しできるものは書けないし、
そこを他のもの(これまで見てきた歴史とか)で
カバーするには、自分は全然足りないと思ったのです。

もちろん、その書き手さんの能力で
見ていなくても面白いものを書くことが
できる人もいるでしょうが
自分は、現場で見たものを速報なりなんなりで仕事にしたり
その上でさらに生まれてきたものを
自分なりに書いたりしてくることで
ライターとして成り立たせていたので、
妊娠したら外に出る回数が制限されるのは
経験上分かっていますし、(実際全然仕事できませんでした)
生まれた後はさらに外に出づらくなるのは想像できます。

ずっと見てきたということで
他の人より少し詳しい団体やジャンルもありますけど、
多分、自分の活動からしたら
その団体やジャンルをギリギリ追いかけているだけで
精一杯になるでしょうし、
そこを追いかけているだけで生計は成り立たないし、
成り立ったとしても、そこだけで成り立たせてたら
自分がそこに対して還元できるものはすごく少なくなってしまう。

ライフワークとしてそれらを追いかけていくにしても
そこだけではダメで、
かといって格闘技全般を広く見知って追いかけていって
お金になったとしても、ごく近い将来子供を持ったら
またそこから一度道をはずれなきゃいけなくなる。

だとしたらもう少し
家でできるライターの仕事を増やしたほうが
今後につながるのではないか。
お金にならなくても書くことは続けていくにしても
他の仕事をする道を
みつけてもいいのではないか。

ライターという仕事に限らず
出産後、仕事に復帰したかったら
いま、いろんな仕事をやって実績を作っておかないと
仕事には戻れなくなる。

そういうことを考えたわけです。

もちろん、私がフリーになった数年前と比べて
大会の数が減っているのは事実ですし、
そうなれば当然、速報の仕事をする機会が減るのも事実です。

ただ、そういう仕事があるときに
個人的な事情で断ってきたのも事実なのですよ。
プロレスや格闘技の現状というものと
まったく関係がないわけじゃない、とは思いますが
そうした個人的な理由なんですよ。

それと、前ほどやってないとはいえ
プロレスの仕事も格闘技の仕事もやらせていただいていますよ。
やらせていただいています が
あんまり仕事してないように見えるとしたら
そうした理由からなんです。

サボってるわけでも嫌いになったからでもないです。
posted by ささきぃ at 04:01| 考えたいテーマ&連載 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月06日

未消化のことばたち

震災の直後のツイッターは、とりあえず自分の知っている人たちが
みんな無事だと分かったので、あれほど有り難いものもなかったのですが
その後は、ちょうど自分の体調のひどさもピークだったこともあって
見ていてしんどかったです。

聞き流す、読み流す、ということが私はどうもできない性質で
目に入ったものは全部真正面から読んでいるのですけど、
震災の後は、ツイッターやネットをやってても
テレビ見てても、圧倒的に具合が悪くなりました。

ブログはある程度、自分の意見として自分の言葉で
消化されたものが書かれているわけですが
ツイッターって人の言葉を「RT」して
自分もそれに共感しているとか
これ読んで、という形でザクザク流れてくるので、
そして時期が時期だけに、それらの言葉ひとつひとつが
衝撃的だったり怒りや憤りがこもっていたりしました。

ツイッターはじめた頃から、いきなり重たい言葉が
流れてきたりするのが本当にいやだったんですけど、
余計にいやになりました。

知った情報を伝えたいという気持ちは分かりますし
そして本当に知らなきゃいけないことも入っているのも
分かりますが、インフルエンザで心身ともに
非常に弱っていたときだったんで、ものすごくつらかったです。

元気になってからは
休んでいた分の仕事をいっきに片付けなくては
ならなかったので、それはそれでつらかったです...。

私は震災の被害を現時点ではほとんど受けていないし、
ずっと関東在住なので生まれてからこれまで
ほとんど自然災害の被害を受けていません。

被害にあっていない、という罪悪感も大きいです。

それなのに福島の人が、関東の電気のために作られた原発で
住んでいる街が大変なことになってしまっている。
福島の方の関東への怒りが感情的に書かれた文章を読んだときと、
関東人は自粛していないで経済を回せ、という文章を読んだときが
いちばんきつかったです。

のうのうと生きてる関東人め みたいな敵意を
そこから勝手に感じたんですね。

もちろんそれは受け止めなくてはいけない事実なのだけど
すごくきつかった。

感情的な物言いや敵意については、普段ならある程度ガードして
ダイレクトに一撃をくらわないようにしていますし
どんなときでも理不尽なことを言われたら
怒るくらいの元気はある のですが
たいした被害をおっていなくても
震災が起きたことのショックと現状に対する気持ちで
自分なりにギリギリだったのだと思います。
弱っていたんですね。

あ、もうダメだ

と思いました。
そんなこと言われたらもう一歩も歩けない。
というか、怖い。

停電がいつあるか分からなくて
仕事が思うようにすすまなかったり
関東の人も西へ向かったりしている中で
この先の状況がみえない中で
不安にならないわけがない。
これ以上、何したらいいのかわからない。

ダメだ。

そこからはささいな言葉が全部ひっかかるようになりました。
なにげない言葉が引っかかって気になってしょうがない。

最初のうちは、事実を知らなければならない という気で居たのです。
でも、これ以上こういう刺激を受けてたら
確実におかしくなるなと感じました。

そこからは逃げるように情報を遮断していたんですが

スピッツの草野マサムネ氏が
ストレス障害となってしまったニュースを知って、

そうか、直接震災の被害にあっていなくても
そういうことになりえるんだ、と思った。

自分ひとりがダメだったからじゃないんだ とも思えた。
と同時に、これは本当に気をつけなくてはダメだ、
人からなんて言われても、本気で自分を守ろう、
少なくとも今は、と思った。

それを知ってから、少し自分とニュースの付き合い方を
考えるようになりました。

と同時に、どうしてテレビとかネット見てて
こんなに苦しいんだろう
と考えて、その感じはどういう感じなのだろう
と自分なりに探っているうちに、
なんというか、未消化なまま
こっちに言葉が流れてきている感じがきついのだ
と、自分なりに思いました。

例えば、私は人の愚痴を聞いているのは
まったく苦にならないんですが、
その人が自分を正当化しようとしている話を聞くのは
ものすごくきつい。

愚痴は、ネガティブな反応でもその人の気持ちであって
言いたいことそのものなので、
けっこう平気なのです。
でも、事実を話しているふうでいて
実は言いたいことが別にあったり
どう考えても平気じゃないのに平気なふりされたりすると
何が言いたいんだろう?
と思う。

ほんとうにそう思って言ってんのかな、とか、
自分の言葉でちゃんと言ってくれればいいのにな、とか。

そんなときと似た感情を、ずっと抱いています。

報道の裏を読む、メディアは真実を伝えていない
という物の見方は、普段は嫌いなのですが
まぁ今回はさすがにそれもあるんでしょうね
と感じざるを得ない。
そして伝える側のそのジレンマのようなものも
にじみでていますし、報道に対する怒りも
ほんとうにたくさん感じる。

そして真実はコレです的なものも
次から次へと出てくるんですけど、
それに対して情報を精査してかみ砕いて頭に入れる
という行動をするだけでも大変です。

結果、伝える側も起きていることを
取って出しみたいな感じで報道していて未消化だったり、
伝えている側が意味もよく分からずに伝えているものとかが
いっぱいあって、それらがくだらなかったら
どうでもいいんですが、ものすごく重要だから
読んだり見たりしないといけない。

でも、吐き出すように出てくる言葉とか、
怒りまじりでぶつけてくる言葉とか、
余裕のない人に付き合うのは大変で、
それもしんどいことです。

バラエティーが復活して、どこか心が癒されるのは
笑いが戻って来たからだけじゃなくて、
きちんと作り手の手がかかったものであって、
伝えるべきことを理解して伝えられているからじゃ
ないでしょうか。

笑いが人の心をやわらげるのは
起きた事実を自分の中に受け入れて
それを消化している度量がある人たちがいること、
ドッキリや舞台の面白さでも
それを客観視しているからでもあるんじゃないかな
とも感じます。

「最大の理性とは、すべてを笑い飛ばす力である」
という言葉もあります。

そうしていろいろと自分と情報や言葉との関わりについて
振り返ってみて

そうか、全体的にいろいろと
少なくとも自分としては
しんどいと感じるようなことをしているんだ

と分かってからは、だいぶ楽になりました。

それにしても本当にだめな奴だな とも思います。
なんでしょう、この打たれ弱さは。

でも、打たれ弱いのにニュースや現状と向きあって
打ちのめされて自分のダメさ加減を悔いていたり
それを苦にして病んだりして
仕事相手や家族に迷惑をかけるよりは、
バカで情報弱者でも私が私にできる仕事を
していたほうがいいのかなとも思います。

家族や仕事で逢う人や文章を読んでくれた人を
暗い気持ちにさせるよりは、明るい気持ちにさせたい。

何より、わたしは未消化な言葉を世界に吐き出したくない。
感情的で余裕のない自分をわざわざ人にさらしたくもない。

黙っていること、思っていることを語らないのが
ダメな人間ならば、
いまはダメな自分であろうと思います。

寄付したり物資を運んだり、行動する方は偉いと素直に感じます。
売名とか言われてもそれは力と余裕がなくてはできないことで、
そのエネルギーを良い形で使っている方を尊敬します。

自分も少しだけですが動きました。
ダメなりに今後も自分がいいと思うことをやります。
かならず。
posted by ささきぃ at 03:37| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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