2011年06月22日

職人的な生き方がしづらい時代

昨日書いたことからつらつらと考えていったことなのですが

年を取ったというだけじゃなく
世の中の状況も先がみえないので
ゼロか10かで判断してしまうのは
とてもリスクが高いようにも感じています。

そうでなくとも
この先、何かひとつの生き方や
何かひとつの職業だけを
愚直に貫いていく という生き方は
残念なことに絶滅してしまうのかな と予想しています。

いや、私だって出来れば
書くことだけに集中して
自分、これしか出来ないっすから と言ってみるような
そういう生き方がしてみたいですし
そういう生き方が残っていくような
世の中であってほしいのですが

これまで、そういう生き方をしてきた
腕は確かだけど不器用な職人さんは
じゃあ、具体的にどう生活していたのだろう
と考えたときに
その側には、周囲に気遣い、仕事に打ち込めるようにさせてきた
「かみさん」の存在が
いたんじゃないか、とふと気づいたのですね。

職人さんがいい腕を持っていたり弟子を持っていたりして
組織がある程度の大きさになっていれば
トップを補佐して下をうまく取り仕切っていた
「番頭さん」や
「かみさん」でありながら専務的な
「おかみさん」の役目をしていた方とかもおそらくいたでしょう。

現代にまだ残っている職人さんたちにも
おそらく長いことお世話している周囲の人やら
会社組織にして維持していくことを考えた
営業さんやらがいるのではないか。

日本はもう
そういう存在を新しく育てる土壌を
なくしてしまったんじゃないかな と
感じるのです。

そういう存在を評価する余裕も
なくなってきていますよね。

そういう存在が感じてきたやりがいは
むしろ女性も働いたほうがいいとか、
お金になる仕事をするべきとかいう考え方があるし
そうやって職人を支えることによって
ちょっとおいしい思いをしたり、ひそかに与えられていた報酬も
クリアにして公平にすることが良しとされる現状ですから
もう、そうした存在が今後あらたに
現れることもない気がする。

だとしたら現代の職人さんは
自分でその役目を
兼任するしかないのではないか。

もしくはビジネスとして割り切って任せるとか。
そうするとしたらもう
会社単位じゃないと
職人は育てられないし
食べていくこともまたできないのではないか。

それでも職人の形に固執するとしたら
周囲の人の好意にのっかったり
パートナーに甘えていくなりして
無償の奉仕をさせることになっていってしまう。

身の回りの世話をみてあげたりすることって
いわゆる奥さんがやるものだと自然と思われていたりしますが、
現代の職人さんに奥さんを食わせる力があるのかなと。
まして周りの人を。

「なあなあ」でやっていくことや
人に支えられているとか世話をされていると自覚することは
うっとうしかったから離れたかったけれど
それが職人的な世界を支えてきたことも事実だった。

高いけどいい仕事をする縁のある者を切って
安いところに発注する なんていうのが
ごく当たり前となってきていますから
逆に自分たちもそうして
切られていってしまうのは当たり前で、
それを選んできたからには、
職人は価格に見合う腕と、それを知ってもらう努力によって
食べていくしかない。

これから職人的な生き方をしていくとしたら
身の回りのことができる ということに加えて
ある程度のセルフプロデュースなり
ある程度の営業的関わりが
できるようにならなかったら
多分、職人さんであることも
自分の好きなことで
ある程度お金を得ることも難しくなっていくのでしょう。

もちろんお金もらわないんだったら
もしくは本業にしないんだったら
周囲のことに構わず好きなことを突き詰めていて
全然いいと思いますよ。
「職人」として
お金をもらうのなら、という話。

もちろんすごく才能がある人ならどこにいても
自然とそれをお金にしようとする人や
お世話しようとする人が現れるだろうけど
価値観が広がり過ぎちゃった今では
なかなか見つけてもらうのは難しい。

「見つける」といえば
検索サイトのgoogleだって
職人として貫いてしまえば
検索の精度をアップしていけばいいんだろうけど
広告を取るだけじゃなく
アンドロイドOSまで作る時代。

そういう時代に
私はいったい何ができるのだろう。

さきのgoogleの例で言えば
組織じゃなく個人であっても
例えばライターであれば
編集をやるとかカメラも兼任する くらいのことは
いまのところもう驚くようなことじゃなくなってますが、
さらに、自分が書く場所を残していくための
媒体を作るとか、新しい電子書籍の端末から作っちゃう
なんていうレベルから考えなくてはいけないのかもしれません。

プロレスや格闘技の選手であれば
道場をやるとか指導をするということだけに留まらず
自分が戦うための場所(=大会)を自分たちで運営する
なんていう事も、
おそらくはごくごく当たり前となっていくのではないでしょうか。

しんどいかもしれませんけど
多分それも時の流れとともに
どこかで自分たちが選んできた結果なのかなとも思います。

逆に考えれば
頑張ったりお金の面がある程度どうにかなれば
好きな事をずっと続けていけるということ
でもあるので。

自分が納得できるように。
posted by ささきぃ at 10:30| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月21日

真っ白でも真っ黒でもなく

♪ 白か黒しか この世には
  ないと思っていたよ
  誰よりも早く いい席で
  いい景色が 見たかったんだ ♪

(真心ブラザーズ「マイ・バック・ページ」)


例えて言うなら「大好き!」じゃなかったら
あとはもう全部「いらない!」みたいな、
以前の私はそういう極端な志向だったように思います。

でもそれが少し変わってきたかなと感じ始めています。
年を取ったということなのでしょうか。

何かをやろうとするときも
無理をしてでも全部やって、あちこち取りこぼして、
それでもなんとかやりとげる
みたいなやり方をしていたのが

今日ひとつ、明日もうひとつ
みたいなやり方があるのだね
ということに、ようやく気づき出した。

年を取ったということなのでしょうか(2度目)。

そうかもしれないけど
でもそれは体力がなくなったとか
勢いがなくなったということだけじゃなくて

やるんならいっぺんにやらないとダメなんだ
と思い込みすぎて
何も変わらずに過ぎてしまった年月を振り返って
ぞっとする というような
経験があるからこそ
ゼロか10か、白黒はっきりつけなきゃ という
思考のおそろしさを感じ始めてきました。

もちろん
自分にできることと
できないこと
本当はやりたくないこと
そういうものも見えてきた。

全部は変えられなくても
一部を変えてみるだけで
救われることもある。


♪ あぁ あの頃の僕より
  いまのほうが ずっと若いさ ♪

(真心ブラザーズ「マイ・バック・ページ」)


そんなふうに私には言えないけれど
薄いグレーとか
濃いグレーとかの良さは
以前より、分かるようになった。
posted by ささきぃ at 01:53| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする