もうあっさり更新止めやがったか
と感じられるでしょうが、
この間はスポナビブログで
長めの文章を書いていたんですよ。
「女王・辻結花の復帰戦に寄せて 秒針 - a second hand -」
「AACC・富田里奈選手の復帰」
なのでよろしかったら
そちらも見て下さいね。
さて
数日前に書いたブログ
「最後まで正論を吐いているための方法について」
に、いくつか感想等いただいて
ありがたい限りです。
追記というほどではないですが以下ちょっと続きを。
結婚しても子供がいても
いわば「何かを持って」も
ずっと変わらずに持論を曲げずにいることは
可能ではありますが、
その簡単な方法が
自分の信者と結婚することだと思います。
信者がそばにいる人の言葉は強いですしね。
昔の日本の家庭というのは
それに近いものだったんじゃないかな
と思ったりします。
頑固な年配の男性をあやつるには
教祖みたいにしちゃうことが
一番簡単だったりもしますし
(その方に魅力があれば、です)
いまでもワンマン型の会社とかで
よく似た形のものを見ます。
それは信者の側が
信者である限りは
うまくいったりしますが、
教祖の側の頑張り次第に
かかってくる関係であるのは
間違いないですし、
信者の側に自我がめざめてきたら
わりとすぐに壊れたり、ぎくしゃくしたり
していますね。
信者と教祖のようであっても
教祖側の人が
自分は身の回りのことはなんにもできないんだ、
と理解している場合、
そこを補う奥さんなり周りの人なり という形で
それはそれでうまくいっている関係というのも
よく見ます。
そういう形でガッチリくっついた関係は
かなり強固だなと感じます。
役割分担という点からも
どっちも相手の大事なところを掴んでいるという
点からも、ある意味それは理想の夫婦関係なり
主従関係なのかなと思います。
欠けたところを補い合う、という言い方もできる。
ひとりでいることを目的化すると
欠けたところをどんどん埋めていく作業に
なっていくので
その結果、どんどん人と繋がりにくく
なっていったりもします。
ちょっとバランスが崩れている人のほうが
異性を惹きつけやすいというような話です。
だけど、欠けているところがあるといっても
「それ、私まるっきりダメなのよ〜」
っていう感じで、理解を放棄しているふうだと
まったく魅力にはならないのは
どうしてなんでしょうね。
こっちの感情を煽るっていう点では
魅力と言うか、
とんがった部分のひとつなんですかね。
逆効果だけど。