2012年03月13日

うさぎドロップのトリカゴ(ラストの感想なども含めて)

思いきりネタバレしてますので知りたくない方は
読まないでくださいね!

うさぎドロップといえば賛否両論の最終回。
私はどう感じたかと言えば
全然理解できなかったです。

いやー、ダメでしょ。
ダメですってそれは。

わたし宇仁田ゆみ先生の作品は
大好きで、「楽々」も「男女」も「喜喜」も
「スキマスキ」も「マニマニ」も「よにんぐらし」も好きで
「アカイチゴシロイチゴ」とかも大好きなんですけど
それでもあの結末は
いやーそりゃいかんて
と思ってしまう自分がいました。

アマゾンのレビューでは、これを読むことで
最終回の違和感がなくなった
なんていう感想もみかけた
番外編の10巻を今日購入して読んだのですが
残念ですが変わらなかったです。

漫画全体を通して言えば
第1部はほんとうに文句のない展開ですよね。
かわいいかわいい。
コウキママというヒロインの存在もあって
あぁここに出てくる人がみんな幸せになりますように
と祈りたくなる。

第2部の中学生編は
ダイキチの仕事場の感じとかすごくいいですよね。
コウキの彼女の話とか、正直
読んでて気分よくない展開だったんですけど
私はそれを

第1部の天国から一歩先に出た"外の世界”の現実

を描いていると思って読んでいたのです。

コウキが無自覚にグレていく様とか
(男児はああやって何も考えずにグレますね…)
紅璃先輩と別れようとして
りんのことを出されて脅されたりする場面とか
全然気分は良くないですけど
まぁそういうことも残念ながらあるのが
現実で。

そういう中で成長していくりんやコウキ
見守るダイキチたちを
読者としてひじょうに興味深く見守っていたのです。

いたのですが

最後にダイキチを選んじゃうなんて
それはりんが、外の世界に出て行くことを選ばず
2人の世界に閉じこもることを
結局、選んだように感じてしまって。

そりゃねぇよ

と思ったのです。

登場人物の誰もが現実と折り合いつける
努力をしているのに
りんだけが自分の生まれや家族
という問題から外に出ずに
結局、小さい頃に出逢った
優しい人といられる空間の中に留まってしまった
ように見えて
またそれを受け入れてしまっているダイキチに
キィイーとなったりしていたのです。

私は正子のキャラクターがすごい好きなんですけど
彼女のサバイバルぶりはたいしたものですよね。
対人スキルがないのに強引に生きている。

最初にあえて作品名をあげなかった
宇仁田ゆみ先生の「トリバコハウス」も
私は大好きな作品なんですけど、
それが好きだから余計にジレンマを感じるのかも
しれません。

「トリバコハウス」は主人公=ミキが
不器用ながらもなんとか自分で生きていく
ストーリーです。
(ヒーローの男子もすごくいい男です)

ミキはりんと違って家族はあるけれど、
関係はぎくしゃくしていて
家族の愛情や人との人間関係がうまく
むすべない女の子でした。

「トリバコハウス」では
年上の男性に家賃を出してもらいながら
生活してたミキが
その家を飛び出して自分の生きる道を探しつつ
支配したりされたりしない恋愛関係を結んでいく
わけですけど
その子を見ていいなと思っていた私なので
「うさぎドロップ」のりんを見て
ウギギとなってしまうのですね。

ダイキチという家族を得たりんが
外の世界で働いて恋をして傷ついて
成長していく様が見たかった。
そしてそうして送り出してやるのが
保護者の役目でもあるんじゃないのかな と
思うのです。

トリカゴから抜け出したミキに対して
りんは自らトリカゴに入ることを
選んだように感じてしまった。
トリカゴっていうか、単に
自分の価値観を否定されない、自分にとって理想的な
居心地のいい場所にいたかった
だけなんじゃないのかなと。
りんは美人で性格も良くて勉強も出来る
いい子なのですが、彼女が何を考えて感じているのか
感情移入しづらいなと思いました。

ただまぁ
運命の人に出逢ってしまったなら
それも仕方ないのかなと思う。
都合の良さとかも全部含めて恋ですしね。
ダイキチが報われて欲しい
というのは読者の誰もが思うことだったので
愛情を受けてきたりんが、ダイキチに愛情を返してくれる
というなら、素晴らしいラストなんだとも思います。
出来ればそうした過程を描いて欲しかったです。
現実的に考えれば障害はいっぱいなので。

連載中に現実の時代が
どんどん厳しくなっていったという
こととかも
少し影響しているのかなと思ったりします。

宇仁田先生の作品はどれもおすすめです。
トリバコハウスはとくに
未読の方はぜひぜひ。



・マニマニ

宇仁田先生の作品はここから入りました。
買ったきっかけは
当時巻かれてた西村しのぶ先生の帯に惹かれたからでした。
ひとすじなわじゃいかない感じが好きです。



・トリバコハウス

女子には嫌われやすそうなヒロインと
女子にはたいそう好かれそうなヒーローが出てきます。
全2巻プラス番外編。
脇役がみんな、いいです。


・よにんぐらし

家族もの。ほのぼのしきってしまいます。
弟夫婦や姉夫婦とかの異文化交流な
感じが大好きです。
全4巻。
posted by ささきぃ at 00:50| 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月09日

『第三舞台と鴻上尚史〜復活から解散までの100日間』を見ました

WOWOW「ノンフィクションW」の
『第三舞台と鴻上尚史〜復活から解散までの100日間』
ようやく見ました。
放送を楽しみにしていてしっかり録画もしていたものの
なかなか見る時間がなくて、今になってしまったのですが感想を。

解散決定から千秋楽までの内容なのかなと思ったら
大隈講堂とかの古い映像もガンガン出てきて
第三舞台の歴史そのものを振り返るような内容になってました。

『深呼吸する惑星』は、最後だからというんじゃなく
第三舞台の作品の中で
私が一番好きな作品にもなった、ので
その作品の裏側を深く読み解けるのが
単純に嬉しかったです。

もうガンガンにネタバレ的なことも書きますけど
「亡くなった人と向きあって、それでも生きている」
というのが、私がこの作品を見て感じたテーマで、
その物語が出来るまでの話を知るのは、
人の傷あとに触れるような感じがありました。

相手はもう痛くないと言っていても
なんだか申し訳ないような
だけどそれによって相手を深く知れて嬉しいような。

一生さんの演じていた
「橘 伸哉」が、ノブヤの読みを変えてシンヤで、
劇団の旗揚げメンバーだった
岩谷真哉さんだなんて
旗揚げの頃から好きだった人なら
すぐに分かることなんだろうけど、
私は言われるまで分からなかった。

(タチバナはどこかで聞いたことあるなと
 思いましたが)
(『朝日のような夕日をつれて』の
 立花トーイのタチバナ?)

はりめぐらされた伏線にこめられた
大切な意味を知って
私はまた、世界の複雑さと
繊細さを知る。

岩谷さんが亡くなったのと同じ年に
亡くなった「橘 伸哉」を前に、
岩谷さんが亡くなったのと同じだけの
27年を過ぎて
筧利夫が演じる「トガシ」が語る。

「21歳の橘と、42歳の俺が一緒に映っていた。
 俺はどんなに自分が遠くまで来たか、
 鏡に映る姿に教えられた。
 旅を続け、年を重ね、
 そして何者でもないことをお前に教えられた。

 俺はお前の未来を奪い
 どんな未来も作っていない。
 あれから6年経って、21歳のお前の横に立つ
 48歳の俺は、やっぱり何者でもない」。

ラストシーンで
橘はトガシを抱きしめ、トガシも力を込めて彼を抱きしめる。

そしてトガシは自分から、橘の体を離して
橘をそこに置いて、歩き出していくのだ。

もちろんラストシーンに込められた意味は
岩谷さんのことだけじゃないだろうけれど
私がすごいなと思うのは
鴻上さんが大高さんに
「(高橋)一生(※橘を演じた役者さん)は、岩谷なんだよ」
と言ったこと、そのことそのものを含め
受けた傷、自分にとっての大切なことを
表現という場にさらすタフさです。

人の目にさらしてしまうと
作品を余計な色眼鏡で見られることもあるし
出来事そのものに対しても誤解や曲解を
うけることになるのは避けられないけど
そういうことに傷ついたとしても
さらけ出すタフさ。

それとも、そんなことでは
もう傷つかないのか。

最後だからなのか。

個人の思い入れを全部背負い込んで
それでも、作品として
つぶれてしまわずに成立している
思い入れを持って見ても、見なくても
観客が持っている色眼鏡の種類に関係なく
ちゃんと見られるものになっている、
「深呼吸する惑星」という作品のすごさ。

そういう重い役を客演で演じた
高橋一生さんの気持ちというのも興味はあったのですが、
番組では触れられていませんでした。
第三舞台の人間ではない高橋一生さんに
よぶんな色を付けることを避けたのか、
単に番組の時間が足りなかったのか分かりませんが
彼の透明感を守るという意味では良かったのではないか
と思います。

悔いのある別れ方じゃなくても
死によって人と別れるのはつらい。
もう逢えなくなるのはさみしい。

まして故人との間に解決できずに終わった問題があったり
感情のしこりがあったのならなおさら。

だけど生きている限りは進んで行かなくちゃいけない。

番組中、伊藤正宏さんが語っていた

「これは、葬式かもしれない。
 次の道へ行くための葬儀」

という言葉がさすがだなと思いました。
(伊藤さんは現在放送作家をされているそうです)

生きている人が前を向くために、
そして亡くなった人をもっと好きになるための
大切な儀式。

「ずっと好きだった」が、そういう意味で
さらにジワリときました。
posted by ささきぃ at 11:32| 舞台 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする