2013年09月28日

『あまちゃん』が終わってしまった

終わってしまいました『あまちゃん』。
最終回、泣いちゃうかなぁと思っていたんですけど、
さわやかなフィナーレを見た感じで
個人的にはむしろ、最終週のこれまでのほうが、涙腺への
刺激は強かったです。
まぁ夫や息子とみていたからと言うのもある。

北三陸編のハッピーな終わりから
東京編の現実が覆い被さってきて、それらを一気にカタつける空気、
そこからの震災編。
どれもお見事でした。

震災編は、大震災とそのあとをしっかりフィクションのドラマで、
しかもNHKの朝ドラっていう場で扱ったというのは
作り手として大変な冒険だったと思いますし、
日本のクリエーターとしての大きな一歩だったと思います。

東北に対する関東人の妙な遠慮とか、戸惑いとか、
鈴鹿さんがやってれば笑うけど、自分たちもああいう感じだったはず。
会長の「被災地だからな!」とか、
そういうの笑っていいんだ、と。

いっぱい笑わせてくれるドラマでしたけど、
私は、笑えるっていうことは、逆になかなかしんどいことだと
思っています。

つらいことや悲しいことがあったときに
それに浸りきって、泣ききってしまえるなら
それはそれで、たやすいことなのですけど、
どうしようもなく悲しい場面や
どうしようもなく絶望したい場面で、
「なぜここでそれが」というようなことが
おこったり、言われたりするのが
現実だったりします。

というか、そういうのが現実だと私は思っています。

身内が死にそうな時に、病院でふざけて騒ぐ子供がいたりとか、
会社が絶望的な時に、外で子供が運動会の練習してたりとか、
なんか、そういうことが起こったりするのが
現実じゃないのかな、と。

「笑ったら負け」ってよく言いますけど、
笑っちゃうと、ちくしょう、あぁもう少し生きていかなきゃいけない、
みたいに思うのです。

しんどいのに、絶望してしまえば楽になるのに、
しんどいけど、絶望したかったけど笑ってしまったから、
めんどうくさいことを背負って、
もう一歩二歩、歩かなきゃいけない。

受け取る人によってはそれは希望や救いであって、
そういうふうに考える私が根暗なのかなと思うんですけど、
でも、そういうものですよね。

お母さんが戻ってきた夜の、
アキちゃんの変顔メールで笑っちゃったユイちゃんとか。

『あまちゃん』ワールドの住人たちの、
笑って、背負って、さらけ出して生きている感じが、
好きでした。

でも、ただ笑いが入ってるだけじゃなくて
その笑いに対して真剣で
現実よりも笑いのクオリティが高いところが、
フィクションの、あまちゃんの優れているところであり
いい意味で、作り手も楽しんでるところが
伝わってきたから、こっちも楽しかった。

上に書いたような理由で、笑える分
私にとってはとてもリアルなドラマだったのですが、
現実に起きていること、起きてもおかしくないことを
盛り込んで居る分、作り手がなんとかフィクションに
しようとしている感じもしました。

若春子が現代に登場する場面とか、いらないんじゃね?と思うんですけど、
わざとフィクションにするための作り込みなのかなぁとか。

原発問題が出てこないのは、あれでよかったと思います。
自然の災害じゃなく、現実に進行中のとてつもなく大変な問題を
ドラマの中で扱わせてなにがしかのカタルシスを得ようとしては
いけなかったと思うし、それはフィクションではなく
現実で解決していかなきゃいけないことだし。

逆に、うれしいはずの場面で、なにかしら欠けている、
というのも、リアルですよね。
幸せいっぱい結婚式で、忠兵衛さんがいないとか。

どうでもいい点なのかもしれないけど
パッとしなかったGMTが、お金をかけたプロデュースで
売れっ子アイドルになってしまうとか、
お金をかけた分CDを売って回収しなきゃいけないとか、
そういうことを扱っていた点に、
もうそんなことをNHKの朝ドラで言って良い時代なのか、
と思わされました。
時代は進んでいますね。

最終回、ユイちゃん足速かったな。

フィクションフィクション書きましたけど、
北三陸市はきっとどこかにあって、
アキちゃんもユイちゃんも、他の皆も、
きっと元気にやっているのだと思います。
そう思えるドラマでした。

終わっちゃったなぁ『あまちゃん』。
せっかく息子もオープニングテーマが聞こえると
ニコニコするようになったのにな。

大きくなって、あの曲を聴いたら
覚えていてくれたりするのかな。
どうだろうなぁ。
posted by ささきぃ at 23:24| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月27日

『あまちゃん』が終わっちゃう

気がつけばもう9月も終わりです。
息子のことも書かずにNHKの朝ドラ
「あまちゃん」のことを唐突に書きます。
ツイッターでは時々書いてましたけど、
ブログではちゃんと触れてなかったですね。

私が見始めたのはツイッターで話題になり始めた頃からでした。
お座敷列車のあたりで捕まりましたね。

クドカンのドラマ、これまでちゃんと見たことなかったです。
わたし頭が固いので、あの、なんか破綻した感じや
わざとチープに作ってるような感じがどうも苦手だったんですよ。
漫画みたいな吹き出し出すところとかもイヤでした。
ドラマなのに、とか思っていた。

でもあまちゃんに関しては、
朝ドラという習慣の中、それ以上に先が気になって、
登場人物への気持ちが上回って、好きになっていました。

好きなのはお座敷列車のトシちゃん(え?そこ?)と
入間しおりんと、ユイちゃんの屈折と、
ストーブの片思いと、ミズタクの留守電のシーン。

そして「あさイチ」の受け。

イノッチがあまちゃん好きすぎるし
有働アナは、こっちがあまちゃんを見ていて
「もしかして・・・いや、考えすぎかな」とか
「あのシーンってああだったけどそう思う私は性格悪いかな」とか
思うようなことを全部口に出す。

種市先輩がユイちゃんと出会ったシーンで終われば
三角関係を疑うし、ユイちゃんがGMTの悪口を言っていれば
聞いていて爽快だったと言うし、
あまちゃんとは関係ないけど、東京五輪が決まった翌日
街角で「夫婦で楽しみたいと思っています」と言った夫婦に対して
「よその夫婦が何を楽しもうと別にどうでもいいですけどね」と
言わなくていいことを言う。
(というかその発言はアナウンサーとしてどうなのか)
(でもそういうところもわりと好き)

イノッチは、時々
「鈴鹿さんは自分を『鈴鹿』って言うタイプの人なんですね」
とか、アイドルらしい気づきみたいなのを時々入れてきたりしつつ
上手にサラリと受ける人だったんですけど、
最終週はちょっとテンションがおかしくて面白いです。

鈴鹿さんの唄がとうとう流れた153回目では
「もしかして、元々ライブでは上手い人だったんじゃないか」と
素直な感想を言い、翌日には
「僕、最初に鈴鹿さんの歌声が流れたとき、録画して
 何回も聞き直したんですよ。一緒にハモったりもしてみたんですけど、
 テンポは外れてなかったですからね」
と、やらなくていい徹底検証を行っていたことを明かし、

今日に至っては、
「鈴鹿さんと春子さんが同じ部屋で話してるのも感慨深いですけど、
 アキちゃんとユイちゃんが話してるのもまた、いいですよね。
 オープニングの2羽の鳥は、アキちゃんと
 ユイちゃんのことを表しているんじゃないか」
と、そうかもしれないけどドリームと思い入れ溢れすぎてることを言って
有働アナにまで「イノッチ、あまちゃん好きすぎるよ」と突っ込まれる始末。

でも今見直すと、オープニングの2羽の鳥、
先に1羽が飛び立って、それを追って踏ん切るように
もう1羽が飛び立つんですよね。
先に飛び立つほうが、アキちゃんなのか、
それとも、ユイちゃんなのか。

お前こそドリーム入ってる、というようなことを
書いてしまいました。

あまちゃんが見られなくなるのも寂しいけど、
あさイチの受けが見られなくなるのも寂しい。

最終回がきてからはこういうこと書いてる場合じゃないと思うし。

というか、「あさイチ」は次の朝ドラ始まってから
同じようなテンションで番組続けられるのかな、
と少し心配です。

鈴鹿さんの唄ほんとに良かったなとか、
夏ばっぱほんとにかっけぇなとか、
春子さんに夏ばっぱが謝るシーンほんとに良かったなとか、
いろいろ語りたいことは他にもあるんですけど、
とりあえず。
posted by ささきぃ at 20:16| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする