2016年11月18日

フラワーズ・その3

誰かが引退したりグループが解散したり
そういう、いわば弔辞みたいなときだけ何かを書く
というのがイヤでした。

もちろん亡くなった方に対しても。

いま現場に行けていないのに
昔こうでしたみたいな話をするのは
かっこ悪いというか
今でも影響持ちたがってる感は
非常に痛々しいと思っていたし

何より、本当に素晴らしい選手でしたみたいなことを
言うんだったら
現役のうちに言うべきだろと。
活動してるときに言うべきじゃないのかと。


 彼の遺骸をかざる花束は
 生前、彼が奮闘に疲れたる日の食卓に
 ただ一枝ずつでもほしかった

 彼の葬場にきく同情讃嘆の千言万語は
 生前、彼が世の無常と戦う苦悶の日に
 ただひと言ずつでもほしかった


という、後藤静香氏の言葉があって

もちろんそのことばの本意は
だからこそ今、伝えろというところに
あったのでしょうが

ほんとうにそのとおりだよなぁ
と思った私は
なんだか打ちのめされて
おろかにもあまり語らなくなっていました。

安易に書くべきじゃないのかなと。

その結果

自分自身も不自由だったし
失望させてしまった人もいるのだろうなと
感じています。

ただもうそういうのはやめよう
と、思います。

もちろん書けないこともあるけれど
好きなものを好きだとか
いいなと思ったこととか
すばらしいなと思ったことを
もっとたくさん。

棺に飾る花じゃなくて
食卓に花を贈るように書くことができればと
今さら。

年取ったけどそういうことは
きっとやりやすくなったかなぁと。

なにかの感想とか違和感とか
そういうことをあらためて
もっと書こうと思いました。

生きているうちに。
書けるうちに。


次からはもっとバカバカしく。
posted by ささきぃ at 21:25| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

フラワーズ・その2

書くことを自分の中で
なんとなく定義した後、ちょいちょいと
ツイッターなどで書き出してみたのですが

どうもね
キレが悪いというか
やっぱ離れていた分下手になっている。

なにより年取ったな
と。

もう40を過ぎまして
子どもの体力についていけない昼間と
その合間に見るツイッターとで
自分のおばちゃん度について考えてみたり
していたところ

雨宮まみさんの訃報を知りました。


私は直接雨宮さんを知らないし、
一方的にイベントには行ったことがありますが
お会いしたことはありません。

プロレスをご覧になっていたことについても
私は、取材の現場から離れた後だったみたいで、
ほぼ入れ違いのような形でした。
ただ、一緒にお仕事をされている方などは知っているので
会いたいと思えば会えたかもしれない存在でした。

(井田真木子さんの本のイベントは
 本当に行きたかった。行くべきだった。)

こっちが出産したり身も心も太くなってきたせいか
その繊細さにリンクできない部分もありましたが
文章はできる範囲で追いかけていました。

プロレスについて書かれている文章は
憧れの人をみる喜びとわくわくがこもっていて
こちらまでとても嬉しくなってしまった。

でも亡くなられてしまって。

悲しいと同時に
お悔やみの気持ちが自分の中でまとめられなくて
うっかりすると泣きそうになって。

きのうは一回子どもと一緒に寝たあと
夜中に目が覚めて
ツイッターや検索で
近い思いの人を探していました。

でも出てこないので眠りそこねて
それならと自分の中を掘ってみたところ
出てきた言葉は

不謹慎なようですが

なんだよそれ
そりゃないよ
そりゃないよ雨宮さん。

でした。

繊細で人の痛みに敏感な生き方をしていた雨宮さんが
40歳になったばかりで逝ってしまったことが
なんだかとてもやりきれない。

雨宮さんが傷ついたり考え過ぎたりしながらも
雨宮さんらしく40をすぎて50をすぎていく
そんな様が見てみたかった。
見られると思っていた。

雨宮さんが逝ってしまうのはナシだよと
神様に言うべきなら神様に言いたい。

それになんでこの日なんだよと。
里村選手の誕生日じゃないか。
いくらなんでも。
こっちがつらいよ。

生きているのは当たり前じゃないんだと
そんなことは
こんな形で知らされたかったわけではない。

ただただ残念で。

残念で残念でしょうがない。


残念がって、その後なんだか無性に腹が立って

ババアになるのも別に悪いことばかりじゃないよ
どうせ何か言う奴は若くてもババアでも何か言うんだよ。

そんな捨て台詞を。

図太く慌ただしく40歳を過ぎてしまった側から。

泣きながら。
posted by ささきぃ at 19:56| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

フラワーズ・その1

ご無沙汰しております。
子どもは4歳になりました。
今年4月から幼稚園児です。
わたしは元気です。

元気なのですが、
働きながら幼稚園児のママさんをするというのは
思っていたよりも大変でした。

世に言うワーキングママというほど稼いでないので
社会貢献もしていないように思えるし、かといって
子どもにかける時間が多いわけでもないし という感じで
あまり自己肯定感の高くない日々でございました。

もっと落ち込むこともよくあった というか
ある んですけど、
その理由を自分なりに考えてみたところ、

苦手なことをやっている時間が
得意なことをやっている時間よりも長い

という、基本的なことに気づきました。

他のお母さんとの付き合いとか
まぁ、得意じゃございませんし
育児も家事も、得意だったらもっと早く結婚しています。
必要なのでやっていますけど車の運転も得意ではありません。
わたしが得意なのは速報を書くことでした。(過去形)

苦手なことをやる時間にも行為にも
意味があると、もちろんわかっては
いますけども、そういう日々の中で
自己肯定感を高く保つのは、意識しなくては難しいな と
思うようになってから
少し楽になりました。

そういう中で
書くことに対して、どう向きあって良いのかなと
ずっと考えていました。

書いた方がいいのだろうと思いつつ
なにを、どう書けばいいのだろう
どういうスタンスで書けばいいのだろう
みたいなことを、ぐるぐるしているうちに
自由時間終了という感じです。

ただ
得意なことは少しでも続けたいし
そうしていないと私はあまり友達もいない。

ブログに書かなかったら
誰が私のバラエティ番組の細かい感想を聞いてくれるかと。

単にそういう部分だけであっても
書きたいことがあるなら書いていてもいいじゃないか
誰も読まないかもしれないけれど
自分のためにであっても書いたほうがいい
と思うことで、またようやく
一段階抜けた感じでした。


つづきます。
posted by ささきぃ at 09:18| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする