2010年05月19日

「テキストの時代」〜中編

(※前編を読んでから読んでください)

「これからはテキストの時代だよ」と、
堀江貴文さん、という、インターネットについては
それなりの見識を持っている方がそう言ってたことで、
あぁよかった、私ひとりじゃないんだ、
と、有名人と同じ意見で安心する、チキンな私です。

テキスト化してあることで、まず簡単に要点を拾える。
おおよそ、テキスト化するときに人は
要点を拾って大事なところを抜き出しますし、
遊び心のある人でしたら、その内容を面白くします。

そこで、テキストにした人のフィルタリングというか、
意志による情報の取捨選択は当然かかりますが、
そもそも、そのフィルタリングぶりが
メディアの売りだったはず。

それが、おそらくは不況の影響とかもあるのでしょう。
そして流すべき情報が多すぎるという点もあるのでしょう。
さらに、格闘技だけじゃなく、どんな企業もとにかく
自分のところを知ってもらう、顧客を増やすという大義のもと
いままではニュースにならないものも流れるようになった。
動画に限ったことじゃなく。
ウェブがそれを加速させてるのは確かですが、
ウェブに限ったことでもないと思います。

広告記事も当たり前のように出てきて、
さらには何かについて調べようとするたびに
つくりかけのブログみたいなのが出てきてキーッとなったりする。

情報がいつのまにやら「源泉かけ流し」みたいな状態で流れるだけじゃなく、
信用性が問われるようにもなった。

結果、一周して、この人が言うんだから信用できる、
この人が言うのだからそうなんだろう、
という、目利きの存在が求められるようにもなっている。

たまたま堀江さんの意見の引用がつづきますが、
週刊ダイヤモンドのツイッター特集号(2010.1.23号)で
津田大介さんとの対談で、

「僕がツイッターに求めているのはソーシャルフィルタリング
 なんですよね。ストレートニュースは入ってきて欲しくないんです。
 いったん『目利き』のフィルタリングを通して入ってきて欲しい」

と語っていらっしゃいました。

私がツイッターに感じている魅力も、
「この人が注目してるんだから、大きいことだな」とか、
「これだけ意見が続いているということは、こうなんだな」とかの
民意の波みたいなものに対する期待がひとつありもします。

ただ、ツイッターのタイムラインは自分で作れるものですから、
どうしたって自分と近い意見の人のものを拾いがちでもあるので
そこは注意しなくてはならないところです。
裸の王様になってしまう場合があるということです。

話がそれましたが、ツイッターもまさに「テキストの時代」らしい
ツールだったりもします。
140文字で言いたいことをまとめるってすごい訓練ですしね。
個々人が言いたいことを140文字にまとめたテキストが、
バーッと流れてくるわけですから、まさにテキストの時代。

圧倒的な文字量が求められたテキストの時代を経て、
動画の時代が来ている中、
次に来るのが「編集されたテキストの時代」というのが、
おもしろいなーと思ったのです。

私はライターで、テキストを自分の武器として選んだので、
どうしたってテキストびいきにはなるし、
動画をあまり見ないほうなので、偏った意見だとは思います。

その上でですが、動画じゃなきゃ伝わらないものというのが、
どのくらいあるのか、正直私にはよく分かりません。
動画じゃなくてもいいものが、動画で流れているというのが
現状じゃないかと思っています。

ただ、動画だったり、ポッドキャストだったりというものの強みは、
そのために時間を使わせることで、対象に対する
「親和性」が高くなるということじゃないかという気がしています。

親和性ってこういう局面で使う言葉じゃないとは思いますが、
対象に対して親しみが強くなる、好感度が高くなる、
距離が縮まったように感じる、みたいな意味あいを
他の物質と容易に結合する性質や傾向、という本来の意味に
かけて、字面で使っています。

時間をかけたものを、無駄だったとは誰も思いたくないから、
あえて動画にして、見させることが出来れば、多分ある程度
対象のことを深く知った気にさせられるだろうし、
好感度が高くなることも考えられるでしょう。

たとえダメ出ししながら動画を見たとしても、
それだけ対象のことを知った気にさせられる。

テキストの時代であったとしても、
その強みは多分失われることはないと思います。

もうひとつ、動画って
ものすごく何かを「やった気」になるツールでもありそうだな、
と思ってます。

絵と音がそろって演出できるソフトですから
そりゃ、文字だけのテキストなど、
インパクトとしては段違いでしょう。

伝えたいテーマがあるとして、
理解を得たい場合はテキスト、親和性を高めたい場合は動画、
という使い分けがひとつできそうですが、
ただ、動画をどう見せるかというところで、
誘導の場面にはどうしたってテキストがいりますよと。

増幅装置としての動画の威力、ライブで発信する動画の力に対して、
テキストは無力です。
ですが、その増幅させようとする力、ライブで発信される力の
威力を、うすうすみんな感じ始めてるのも事実でしょう。

受け取る側にも、受け止めきれるボリュームというのが
あるのです。


posted by ささきぃ at 11:21| 考えたいテーマ&連載 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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