2011年09月04日

最後まで正論を吐いているための方法について

昨日、よしながふみ「フラワー・オブ・ライフ」の
感想を書いたので、そのまま、よしながふみさんについて
ずっと書こう書こうと思っていたことを書きます。

昨年9月(昨年!)『大奥』が映画になった際に
『大奥ガイドブック』という本が発行されたのですが
その対談の中で語られていた言葉が
自分に刺さったのです。

漫画家の羽海野チカさんとの対談の中に
よしながさんの

「結局、自分の子供がいなかったから、
 最後まで正論を吐けるわけじゃないですか」

っていう言葉がそれです。

私は「なんだか大変な言葉を見てしまった」と
思って、一回本を閉じたのでした。

もちろんそれから何回も読みました。

対談としては『大奥』のキャラクターの
有功と玉栄について語っている部分です。
一部抜粋します。
…もう発売して1年経ってるしいいよね。

「ちゃんと人と関わった人のほうが、かわいそうなことになる。
 スルーしたほうが、ひらりひらりってかわせるんだよね(羽海野)」
「で、結局自分の子供がいなかったから、
 最後まで正論を吐けるわけじゃないですか(よしなが)」
「難しいね。ちゃんと人と関わって全部手順を踏むと
 こんなに大変で、すっとばすとずっと最後まで
 正論で生きていけるって、どっちがいいのか…(羽海野)」
「でも、巫女さんってそういうもんじゃないですか。
 誰とも結婚しないで、神様と結婚するから、
 ずっと清らかで正しいことだけ言えばいいって(よしなが)」

のびのびとやっていても、人の親になるとのびのび
ばかりはいられなくなる、世の中としてはどっちの立場の人も
絶対に必要だ、という感じで対談は続いていきます。

ずっと正しいことを貫いていたかったら
独りでいるしかないし、そうしていれば自分の
主張を曲げずに生きていられる。

そういう、すでに分かっている人にとっては
当たり前の事が、自分の中にずんと突き刺さった。

よくある独身者と既婚者の考え方の乖離とかは
違う言い方をすればそういうことだと思います。

自分の子供がいたら守るために
例え間違ったことでもしなくちゃいけない、
それが一番はっきりしたシチュエーションでしょうけど、
ビジネス上の人間関係なんかでも、
いくらでも同じような話はありますよね。

本来はもっと適任の人がいても
人間関係やしがらみ上、別の人に依頼しなきゃいけないとか
全部を完璧なクオリティで仕上げるべきだけど
他からの依頼も来ててキャパシティがいっぱいだから
手を抜かざるを得ない、とか。

変な例えかもしれませんが、私がこの話の具体的な
例として思い浮かんだのは、独身時代は環境のためを考えて
無添加のせっけんを使ってた人が、
結婚後だんなさんの反対に遭って
合成の洗剤を使っていくという話でした。

どっちが正しいとかの議論は抜きにして、
自分が正しいと思うことを周囲の人間に合わせて曲げる、
自分の主張に沿わない道を歩く、
ということです。

嫌な奴だと思っていても
自分の子供のためなら頭を下げるとかもそうですよね。

そんなものは持たずにいれば
頭など下げなくてすむ。

こうして書いてみると、本当に当たり前のことでは
あるんですけどね。

対談の中の何気ない言葉でしたけど、
自分にとっては大発見でした。
その言葉をきっかけに、
バーッとこれまで接してきた出来事を理解できたような、
そんな鍵になる言葉でした。

作家が孤独だというのは
そういうところからくるのかもしれない。

私自身は考えを曲げなきゃいけないときがあったとしても
譲り合ったり戦ったりしなきゃいけなくても
できるだけ人とかかわっていきたい。
純粋じゃなくてもいいから
相手の立場や状況に応じられる言葉を使える人間でありたい。

2010年当時のツイート

映画&原作「大奥」公式ガイドブック
posted by ささきぃ at 23:39| 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする