2008年02月18日

コーヒーとコーヒーカップ

おいしいコーヒーを作るのは才能。
それを受け止めるカップが規律。

あふれる才能でどんなにおいしいコーヒーを作っても
それを受け止めるコーヒーカップがなかったら
コーヒーはただ床にこぼれて無駄になるだけなのです。

クリエーター側の人や選手は、おいしいコーヒーを作ることだけに
専念してしまいがちですけど、それを受け止めるコーヒーカップが
あって、ようやくお客さんに買ってもらえる「コーヒー」です。

床にこぼれてしまったコーヒーを見ました。
どんなに熱かったり苦かったりしても
コーヒーカップに入って提供されているうちは
おいしいコーヒーだったのに、と思います。
こういうことを書くと「ひっくり返したら面白そう」と考える人がいると思います。
だけど、ひっくり返すためにも一度はカップに入ってそれを望む人の前にいることが必要なんです。
何の準備もなくバシャッとひっかけたら、それはおいしいコーヒーじゃなく、
熱い液体をかけるというただの暴力なんです。
やってみたら面白いかもしれない、だけど、そのためには
相手との信頼関係が築かれていることが第一なんです。

レスラーや格闘家を含む才能在るクリエーターたちは、ほんの一瞬でいいから、
その人をその人たるために支えている、カップたちの存在を考えて欲しい。
それは、周囲の人たちであると同時にその人の理性であり常識のはず。

何が残念って、傷ついた人がいることももちろんそうですが、
在るべきコーヒーカップがなかったことで、これまでの優れた結果や
言葉、ギリギリの笑い、そんなものすべてが無駄になって、
表舞台では語られなくなることなんです。

それは尊いものなんだから。無駄にしないで欲しい。

どんなときでも、どんな人でも、作り手は見る側に喜ばれる、それだけを
求めて、生死をかけるほどの努力をしているはずなのです。


posted by ささきぃ at 23:59| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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